囲碁・将棋・麻雀に運の要素はある?「勝負は時の運」を考えてみた
「囲碁や将棋は運の要素がないゲームだ」とよく言われます。一方で麻雀は「運のゲーム」と言われます。同じ卓を囲む遊びなのに、なぜこんなに評価が違うのでしょうか。
しかも囲碁や将棋を打っていると、不思議なことが起こります。自分より格下の相手に、ときどき負けてしまうのです。10回打てばほぼ勝てる相手でも、1回や2回は取りこぼす。これって、結局のところ「運」なのではないか——そう感じたことはありませんか。
今回は、囲碁・将棋・麻雀の3つを比べながら、「運の要素はあるのか・ないのか」をじっくり考えてみました。
囲碁と将棋は「運のないゲーム」
囲碁と将棋は、専門的には「完全情報ゲーム」と呼ばれます。これは、サイコロのようなランダムな要素がなく、相手の手札のような隠された情報もない、という意味です。盤面はお互いに全部見えていて、すべての情報が公開された状態で進みます。
同じ仲間に、チェスやオセロなどがあります。これらはどれも「自分と相手の打つ手だけで勝敗が決まる」ゲームです。つまりルールの上では、勝ち負けを左右する運の要素はゼロなのです。この点で、囲碁と将棋はまったく同じ性質を持っています。
それでも格下に負けるのはなぜ?
では、なぜ3段の人が1段の人に負けることがあるのでしょうか。
その正体は「対局者の能力の振幅(ブレ幅)」です。人間である以上、その日の集中力や読みの冴えには波があります。調子の良い日は自分の実力の上のほうに触れ、悪い日は下のほうに触れる。これは誰にでも起こります。
格上が下振れした日に、格下が上振れすると、その二つの波が重なったところで結果がひっくり返ります。これが「番狂わせ」の中身です。原因はすべて盤の中、しかも対局者の頭の中にあって、盤の外から降ってくるものではありません。
このブレ幅を「運」と呼ぶか
ここからが面白いところです。このブレ幅を運と呼ぶかどうかは、実は言葉の定義の問題で、立場によって答えが変わります。
「運と呼ぶ」立場では、その日自分が上振れするか下振れするかは、打つ前に確約できません。本人が予測も制御もしきれない以上、それは運のようなものだ、と考えます。「勝負は時の運」という感覚は、こちらに近いものです。
一方「運と呼ばない」立場では、ブレ幅の原因は体調管理・集中の維持・経験といった人間の内側にあり、原理的には努力で縮められる、と考えます。サイコロのように外から強制されるものではないから、運とは区別すべきだ、という見方です。
どちらも筋が通っていて、間違いではありません。
麻雀は「運の要素アリ」のゲーム
ここで麻雀に目を向けると、性質がはっきり違います。麻雀は囲碁や将棋とは逆で、ゲームの仕組みそのものに運が組み込まれています。
理由は二つあります。一つは、自分が引く牌(ツモ)がランダムに決まること。もう一つは、相手の手牌や山に積まれた牌が見えない「隠された情報」であることです。どんなに上手な人でも、欲しい牌が引けなければ上がれませんし、相手が何を狙っているかを完全には読めません。
囲碁や将棋のブレ幅が「人間の不安定さ」から生まれるのに対し、麻雀のブレは「牌という盤の外の要素」から降ってきます。ここが決定的な違いです。だから麻雀は、二人(四人)が完璧に打っても、結果が運でぶれるのです。
運ゲームでも実力は出る
ただし、誤解してはいけないのは「麻雀は運だけのゲーム」ではないということです。
短い勝負(1局や半荘1回)では運が大きく出ますが、対局数を増やすほど運のブレは平均化され、実力の差がはっきり表れます。麻雀にプロが存在し、長期戦の成績で強い人がきちんと勝ち越すのは、このためです。
整理すると、囲碁・将棋は「ブレの原因が人間の内側」、麻雀は「ブレの原因がゲームの仕組み」。けれどどちらも、回数を重ねれば実力がものを言う、という点では共通しています。
あとがき
3つのゲームを並べてみると、こう言えます。
囲碁と将棋は、ゲームそのものに運はゼロ。あるのは対局者のブレ幅だけで、それを「時の運」と呼ぶかは言葉の問題にすぎません。麻雀は、仕組みに運が組み込まれた本物の運ゲーム。それでも長く打てば実力が表れます。
「運ゲーか実力ゲームか」は、白か黒かで割り切れるものではなく、運の入り込む隙間がどこにあるかの違いなのですね。次に格下に取りこぼしたり、麻雀でツキに見放されたときは、その負けが「運」なのか「自分のブレ」なのか、少し立ち止まって振り返ってみてください。