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【日の丸の由来】日本の国旗はいつできた? 歴史をわかりやすく解説

私たちが当たり前のように目にしている日本の国旗、「日の丸(日章旗)」。白地に赤い丸という、とてもシンプルなデザインです。けれども、この旗が「日本の旗」として使われるようになった経緯や、正式に国旗と認められた時期について、くわしく知っている人は意外と少ないかもしれません。

実は日の丸の歴史をたどると、幕末の動乱、薩摩藩の名君の活躍、そして「もう少しで別のデザインになるところだった」という、意外なエピソードが見えてきます。この記事では、日の丸が誕生してから正式な国旗になるまでの流れを、わかりやすく順を追って紹介します。

きっかけはペリー来航だった


日の丸が「日本の旗」として動き出すきっかけは、1853年(嘉永6年)のペリー来航、いわゆる「黒船」の登場でした。この出来事によって、日本は「自分たちの船の国籍を、はっきり示さなければならない」という新しい課題に直面します。翌1854年に日米和親条約が結ばれて国が開かれていくと、外国の船と日本の船を一目で見分けるための旗が、どうしても必要になったのです。

それまで日本では、各藩がそれぞれ自分の旗を使っているだけで、「日本国」をまとめて表す共通の旗というものが存在していませんでした。この日本共通の船の目印は、当時「日本惣船印(にほんそうせんじるし)」と呼ばれました。現代の言葉でいえば「船の国籍マーク」のようなものです。

はじめは「源氏の旗」になる予定だった


ここが意外と知られていない、面白いポイントです。
実は幕府が最初に考えていた日本の総船印は、日の丸ではありませんでした。幕府は当初、徳川氏の先祖にあたる新田氏(源氏)の旗である「大中黒(おおなかぐろ)」、つまり白地に黒い横一本線の旗を日本全体の印にあて、日の丸の方はあくまで「幕府の船の印」にしようと考えていたのです。もしこのまま進んでいたら、現在の日本の国旗は「白地に黒い線」だったかもしれません。

現在の「日の丸」に決まった経緯


この流れに「待った」をかけたのが、薩摩藩主の島津斉彬(しまづ なりあきら)と、水戸藩主で幕府の海防参与をつとめていた徳川斉昭(とくがわ なりあき)たちでした。

彼らはこう主張しました。「一つの氏族にすぎない源氏の印を日本全体の旗にして、昔から国民みんなに親しまれてきた日の丸の方を幕府だけの旗にするのは、主役と脇役が逆ではないか」と。つまり、「日本という国を代表する旗にふさわしいのは、一族の家紋ではなく、誰もが知っている日の丸の方だ」という考えです。

島津斉彬は老中首座の阿部正弘に意見書を提出し、水戸の徳川斉昭をはじめ、宇和島の伊達宗城、佐賀の鍋島閑叟といった有力大名たちからも、あらかじめ賛同を得て準備を整えていました。

こうした先進的な大名たちの後押しによって、ついに幕府は日の丸を採用します。1854年(嘉永7年)、老中・阿部正弘の名で、「大きな船を造るにあたっては、外国船と紛れないように、日本国の総船印として白地に日の丸の幟(のぼり)を用いるように」という通達が出されました。
そして翌1855年(安政2年)、島津斉彬が洋式軍艦「昇平丸(しょうへいまる)」を幕府に献上した際、その船尾に掲げられた日の丸が、日本の船旗として正式に掲げられた「第一号」とされています。

ちなみに、なぜ斉彬がそこまで日の丸にこだわったのかについては、ロマンのある言い伝えも残っています。鹿児島城から見えた桜島の上に昇る朝日があまりに美しく、これを旗にしたいと家臣に語った、というものです。

1870年(明治3年)、ルールとして正式に定められる


幕末に生まれたこの「船印としての日の丸」は、明治政府にそのまま引き継がれていきます。
1870年(明治3年)、政府は「商船規則」という決まりの中で日の丸を「御國旗(おこくき)」として規定しました。このとき、旗の縦横の比率や、赤い丸の大きさ・位置といった細かい寸法も具体的に定められています。

一般に「日本の国旗が定められた年」として1870年が挙げられるのは、このためです。日の丸が公式な日本の旗として、はっきりとした形で世に出た年といえます。

1999年(平成11年)、ついに法律で「国旗」に

意外に思われるかもしれませんが、日の丸はその後も長いあいだ、「事実上の国旗」ではあっても、法律できちんと国旗と定められてはいませんでした。
その状況が変わったのが、つい最近の1999年(平成11年)です。この年に「国旗及び国歌に関する法律」が成立し、日の丸が正式な国旗、君が代が正式な国歌として、法律ではっきりと定められました。このとき、旗の縦横の比率は2対3に整えられ、赤い丸は中央に置かれる形になっています。

ペリー来航をきっかけに動き始めてから、法律で正式な国旗となるまで、実におよそ150年もの歳月がかかったことになります。

あとがき


こうしてたどってみると、シンプルな見た目の日の丸の裏側には、ずいぶんと長く、そしてドラマチックな歴史があることがわかります。
ペリー来航という外圧をきっかけに必要に迫られ、あやうく別のデザインになりかけながらも、島津斉彬たちの働きによって今の日の丸が選ばれ、明治のルール化を経て、ようやく1999年に法律として落ち着いた——。普段なにげなく見ている一枚の旗に、これだけの人の思いと時代の移り変わりが詰まっていると思うと、少し見え方が変わってくるのではないでしょうか。

次に日の丸を目にしたときは、ぜひこの長い物語のことを思い出してみてください。