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【囲碁・将棋】井山裕太と羽生善治:国民栄誉賞に輝いた二人の天才の軌跡

2018年2月13日 国民栄誉賞 同時授与

将棋の羽生善治氏と囲碁の井山裕太氏。二人の天才が、それぞれの盤上で「絶対に不可能」と言われた大記録を打ち立て、国民栄誉賞を同時に受賞しました。しかし、その記録の真の凄さは「結果」だけではありません。初めてタイトルを手にした日から、想像を絶する重圧の中で何十年にもわたり勝ち続けた「過程」にこそ、最大のドラマがあります。

この記事では、お二人が国民栄誉賞に辿り着くまでの詳細な軌跡と、その足跡を振り返ります。

まず知っておきたい「タイトル」と「永世称号」

将棋や囲碁を詳しく知らない方のために、まず「タイトル」と「永世称号」について簡単にご説明します。

タイトルとは?

将棋や囲碁のプロの世界には、1年に1回行われる最高峰のトーナメント戦が複数あります。それぞれの優勝者が手にする称号が「タイトル」です。将棋には当時7つ、囲碁にも7つのタイトルがありました。

タイトル保持者(チャンピオン)は、翌年の挑戦者と対戦する「番勝負」(5番勝負や7番勝負)で防衛に成功しなければ、その座を明け渡さなければなりません。つまり、タイトルを持ち続けるには毎年勝ち続ける必要があるのです。

「永世称号」とは?(将棋)

将棋の世界には、同じタイトルを圧倒的に防衛し続けた棋士に贈られる特別な称号があります。これが「永世称号」です。たとえば、名人を通算5期獲得すれば「永世名人」、竜王を連続5期または通算7期獲得すれば「永世竜王」というように、タイトルごとに異なる厳しい条件が設定されています。

プロ棋士は約170名いますが、タイトルを1つ獲得するだけでも偉業であり、ましてやそのタイトルを何度も防衛して永世称号を得られる棋士はごくわずかです。羽生氏は、この永世称号を当時存在した7つのタイトルすべてで獲得したのです。

📚 将棋の永世称号の条件一覧
タイトル 永世称号 条件 羽生氏の達成年
棋王永世棋王連続5期1995年
棋聖永世棋聖通算5期1995年
王座名誉王座連続5期 or 通算10期1996年
王位永世王位連続5期 or 通算10期1997年
王将永世王将通算10期2007年
名人永世名人通算5期2008年
竜王永世竜王連続5期 or 通算7期2017年

囲碁の「七冠独占」とは?

囲碁の七大タイトル(棋聖・名人・本因坊・王座・天元・碁聖・十段)を、同じ時期にすべて保持することを「七冠独占」と呼びます。囲碁界にはオフシーズンがなく、1年を通して常にどこかでタイトル戦が行われています。トッププロの実力が極限まで拮抗する現代において、7つすべてを同時に守り抜くことは「物理的に不可能」とさえ言われてきました。

井山氏以前のタイトル同時保持の最多記録は、張栩九段の五冠でした。井山氏は、この記録を大幅に塗り替え、史上初の七冠独占を達成しただけでなく、一度崩壊した七冠を再び奪い返すという離れ業をやってのけたのです。

【将棋】羽生善治「永世七冠」への28年間の軌跡

19歳で初タイトルを獲得した青年が、すべての永世条件を満たすまで、実に28年の歳月を費やしました。その道のりは、栄光と挫折が幾重にも重なるドラマそのものでした。

第1章:伝説の幕開け(1989年〜1993年)

1989年(19歳)
初獲得 竜王
19歳2ヶ月での初タイトル獲得は、当時の史上最年少記録。15歳でプロ入りして以来、わずか4年後の快挙でした。ここから伝説が始まります。
1990年(20歳)
失冠 竜王(谷川浩司に敗れる)
翌年、谷川浩司に竜王を奪われ無冠に後退。しかし、この最終局203手の激闘で、初めて「タイトルを守る側の重圧」を経験し、将棋観が大きく変わったと後に語っています。
1991年〜1993年(21歳〜23歳)
獲得 棋王 → 王座・竜王 → 王位・棋聖
無冠から一気にタイトルを積み上げ、1993年には最大4冠を同時保持。ただし竜王は再び失冠し、3冠に。複数タイトルの同時防衛という過密スケジュールとの闘いが始まります。

第2章:六冠・七冠、そして永世への道(1994年〜1997年)

1994年(24歳)
獲得 名人・竜王
将棋界の最高位「名人」を初獲得。さらに竜王も奪還し、史上初の六冠を達成。残るタイトルは王将のみとなり、「七冠独占」が現実味を帯びます。
1995年(25歳):初の七冠挑戦と挫折
獲得 王将挑戦 → 敗退(谷川浩司に敗れる)
失冠 竜王
初の全七冠挑戦でしたが、阪神・淡路大震災の影響もある中、谷川浩司に阻まれ七冠達成は持ち越しに。さらに竜王も失い5冠に後退しました。

永世達成① 永世棋王(連続5期)
永世達成② 永世棋聖(通算5期)
七冠は逃したものの、早くも2つの永世称号を獲得しています。
1996年2月14日(25歳):社会現象「七冠独占」
獲得 王将
ついに谷川浩司から王将を奪取し、将棋界史上初の「七冠同時独占」を達成。ワイドショーや一般ニュースでも大々的に報じられ、将棋ファン以外にも羽生善治の名前が広く知れ渡った社会現象でした。

永世達成③ 名誉王座(連続5期)
ただし七冠独占は、同年7月に棋聖を失冠し167日間で幕を閉じます。
1997年(27歳)
永世達成④ 永世王位(連続5期)
七冠独占こそ崩れたものの、圧倒的なペースで4つ目の永世称号を獲得。この頃から王座戦では19連覇という空前絶後の記録も始まります。

第3章:長い足踏み〜ライバルたちとの攻防(1998年〜2006年)

1998年〜2006年(28歳〜36歳)
常に4冠〜5冠を維持する圧倒的な強さを見せながらも、5つ目以降の永世称号には長い足踏みが続きます。

永世王将には「通算10期」、永世名人には「通算5期」という高い壁が立ちはだかり、森内俊之、佐藤康光、谷川浩司ら同世代・次世代のライバルたちとの激しいタイトル争奪戦が繰り広げられました。

なお、永世名人の資格は森内俊之の方が先に達成し(十八世名人)、羽生氏にとっては悔しい時期でもありました。

第4章:永世名人、そして最後の壁「竜王」(2007年〜2017年)

2007年(37歳):10年ぶりの永世称号
永世達成⑤ 永世王将(通算10期)
若手の台頭が激しくなる中、4つ目の永世称号から実に10年を経ての5つ目。残るは名人と竜王の2つ。
2008年(38歳):永世名人達成
永世達成⑥ 永世名人(十九世名人)(通算5期)
最大のライバル森内俊之から名人を奪還し、永世名人の資格を獲得。永世六冠は大山康晴、中原誠の永世五冠を超える史上初の記録でした。残すは、自身が一番最初に獲った「竜王」のみ。
2008年12月:竜王戦の悲劇
永世七冠をかけて渡辺明竜王に挑戦。七番勝負で開幕3連勝し、あと1勝で歴史的偉業達成というところから、まさかの4連敗。将棋界史上初の3勝4敗という逆転負けを喫し、永世七冠を逃します。

勝った方が初代永世竜王という歴史的シリーズで、最終第7局は内容の素晴らしさから将棋大賞の名局賞に選ばれましたが、羽生氏にとっては痛恨の敗北でした。
2009年〜2016年(39歳〜46歳):長いトンネル
2010年にも竜王戦の挑戦者となりますが再び渡辺明に敗退(2勝4敗)。以後、竜王戦では挑戦権になかなか手が届かず、40代半ばを迎えた羽生氏に対し「永世七冠はもう無理ではないか」という声が囁かれ始めます。

2017年には王位・王座を若手棋士に奪われ、世代交代の波が加速していました。
2017年12月5日(47歳):前人未到の頂へ
獲得 竜王(通算7期目、15期ぶりの復位)
永世達成⑦ 永世竜王 = 永世七冠達成!

前回の竜王戦挑戦から7年。予選からの厳しいトーナメントを勝ち上がり、長年の壁であった渡辺明竜王を4勝1敗で撃破。初タイトルから28年の歳月をかけ、ついに前人未到の「永世七冠」に到達しました。

対局後、羽生氏は「自分にとって、もしかしたら最後のチャンスかもしれないという気持ちで臨んだ」と心境を語っています。
📈 羽生善治の主な生涯記録

タイトル獲得:通算99期(歴代最多) / タイトル戦出場:137回(歴代最多) / 一般棋戦優勝:45回(歴代最多) / 通算勝利:1500勝以上(歴代最多) / 永世称号:7つ+名誉NHK杯=計8つの永世称号保持(史上初)

【囲碁】井山裕太「二度の七冠」への絶望と奪還の軌跡

井山氏の凄まじさは、史上初の七冠独占を達成しただけでなく、一度全冠制覇の夢が崩壊しながらも、執念で「すべて奪い返した」点にあります。わずか1年で絶望から復活する、凄絶なドラマでした。

第1章:最年少の衝撃と試練(2009年〜2013年)

2009年(20歳):史上最年少の頂点
初獲得 名人
20歳4ヶ月での名人獲得は史上最年少記録。小学6年生でプロ入りを果たし、16歳で一般棋戦優勝を経験していた天才が、ついに七大タイトルの頂点に立ちました。
2010年(21歳)
失冠 名人(0冠に後退)
翌年すぐに名人を奪われ、無冠に。タイトルを守ることの難しさ、トップの壁の厚さを痛感します。
2011年〜2012年(22歳〜23歳)
獲得 十段・天元・本因坊・碁聖・王座
無冠からわずか2年で一気に5冠を達成。それまでの同時保持最多記録は張栩九段の五冠でしたが、これに並ぶ勢い。七冠独占が夢物語ではなくなってきました。
2013年(24歳)
獲得 棋聖・名人 / 失冠 十段
囲碁界最高位の「棋聖」と「名人」を揃え、初の6冠に到達。しかし入れ替わりで十段を失い、全冠制覇の難しさを痛感します。

第2章:挫折、そして史上初の七冠へ(2014年〜2016年)

2014年(25歳):まさかの後退
失冠 王座・天元(4冠に後退)
一気に2タイトルを失い4冠へ。四方八方からトップ棋士に狙い撃ちされる過酷な防衛戦。「やはり七冠維持は人間には不可能だ」「全冠制覇の夢は遠のいた」と誰もが思いました。
2015年(26歳):反撃
奪還 王座・天元(6冠に復帰)
井山氏は折れませんでした。失った2タイトルを同年に自らの手で奪い返し、再び七冠に王手をかけます。このシーズン、タイトル戦で驚異の18連勝を記録しました。
2016年4月(26歳):史上初の七冠同時制覇
獲得 十段
最後のピース「十段」を伊田篤史十段から奪取し、囲碁界史上初の「七冠同時制覇」を達成。誰も成し得なかった偉業に、囲碁界の歴史が動いた瞬間でした。

同年には本因坊5連覇で「二十六世本因坊」、碁聖5連覇で「名誉碁聖」の永世称号も獲得しています。
2016年11月:七冠崩壊
失冠 名人(高尾紳路に敗れ6冠へ)
七冠達成からわずか197日。名人戦で高尾紳路九段に3連敗3連勝の末、最終局で敗れ名人を失冠。七冠体制はあっけなく崩壊します。

「やはり七冠の維持は不可能だった」「二度と七冠のチャンスは来ないだろう」と界隈は落胆しました。

第3章:不可能を可能にした「二度目の七冠」(2017年)

2017年1月〜9月:6冠の完全防衛
七冠崩壊後、井山氏は残る6つのタイトルを一つも落としませんでした。棋聖5連覇で「名誉棋聖」の永世称号も獲得。名人リーグ戦では8戦全勝という圧倒的な成績で挑戦権を獲得し、自身から名人を奪った高尾紳路名人との再戦に臨みます。
2017年10月17日(28歳):二度目の七冠
奪還 名人(高尾紳路を4-1で撃破)
前人未到の「2度目の七冠同時制覇」達成!

一度崩れた7つの頂を、再び完璧に築き直すという超人的な離れ業。同時に、この年の七大タイトルをすべて井山が獲得したことで、囲碁・将棋界を通じて史上初の「年間グランドスラム」も達成しました。
📈 井山裕太の主な生涯記録

七大タイトル獲得:通算77期(囲碁界歴代最多・単独1位) / 七冠独占:史上初、かつ史上唯一の2度達成 / 年間グランドスラム:囲碁・将棋界を通じて史上初 / 永世称号資格:名誉棋聖・二十六世本因坊・名誉碁聖・名誉天元・名誉王座の5つ

二人の偉業を比較する

♖ 羽生善治(将棋)

偉業

史上初の「永世七冠」

到達までの期間

28年間(1989年〜2017年)

達成時の年齢

47歳

タイプ

28年間の積み重ね型。長い足踏みと挫折を乗り越え、一つずつ永世称号を獲得し続けた「忍耐と継続」の偉業。

最大の試練

2008年竜王戦、3連勝からの4連敗。その後9年間の竜王への再挑戦の日々。

⚪ 井山裕太(囲碁)

偉業

史上初かつ唯一の「2度の七冠独占」

到達までの期間

8年間(2009年〜2017年)

達成時の年齢

28歳

タイプ

崩壊からの奪還型。一度崩れた七冠をわずか1年で完全に奪い返した「爆発力と執念」の偉業。

最大の試練

2016年、七冠達成からわずか197日での崩壊。そこから全冠を守りつつ1年で名人を奪還。

奇跡が交差した「2017年の秋冬」

この年表を振り返ると、二人の国民栄誉賞がいかに劇的なタイミングの重なりであったかがわかります。

井山氏が一度失った頂点から這い上がり、不可能と言われた「2度目の七冠」を達成したのが2017年10月。そして羽生氏が、10年間跳ね返され続けた最後の扉をこじ開け、28年越しの「永世七冠」を達成したのが、そのわずか2ヶ月後の2017年12月でした。

将棋と囲碁という異なる盤上の世界で、絶対に交わることのない二人の天才が、奇しくも「2017年の秋冬」にそれぞれの世界の限界を完全に塗り替えたのです。

アプローチは違えど、お二人が見せてくれたのは、想像を絶する重圧の中で何十年にもわたって頂点に立ち続け、常に進化を止めない究極のプロフェッショナルの姿でした。

この長年の苦難と執念、そして奇跡的なタイミングの合致こそが「社会に明るい希望を与えた」として、翌2018年2月の「国民栄誉賞同時授与」という最高の形へと結実しました。それまで23名と1団体に授与されてきた国民栄誉賞の歴史の中で、棋士が表彰されたのは史上初のことでした。

この二つの奇跡は、これからも色褪せることなく語り継がれていくことでしょう。