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第02話(終)ムスイとモコモコ、3000年後の再開(2)
私たち三人は、とうとう魔王城の入り口へとたどり着いた。
人族の礼拝堂を三倍ほど大きくしたような建物。
遠くから見ても黒く禍々しい気配を放っている。
その正面には五メートルはあろうかという大扉が、行く手を阻むようにそびえていた。
――この扉、魔王の大きさに合わせて作られたのかな……。
「いよいよ魔王とご対面だな」
シュート君が低く言った。
「うん」
サクヤちゃんが小さくうなずく。
「……」
この扉の向こうにいるのが、魔王。
この世界で最も強く、最も恐ろしいとされる存在だ。
「それにしても、村の人たちが言ってたように、ここに来るまで魔族はまったくいなかったね」
「うん。どうしてお城の周りを守らせてないんだろう?」
「魔族の王と言われる存在なんだがな……。
だが、最悪の事態を想定しよう。
城の中には多くの魔族がいると考えるべきだ」
私たちは最後の作戦確認を行う。
「何度も確認した通りだ。
俺が前衛として守りを固めながら戦う。
サクヤとモコモコさんは、弓と魔法で援護してくれ」
「任せて!」
「シュート君、無理しないでね」
「ああ。魔王の出方を見て、頃合いを見計らって撤退する。
目的は勝つことじゃない。生きて帰ることだ。
危険だと感じたら、すぐに俺の背後に回るか、城の外へ逃げろ。
俺は二人が逃げたのを確認してから退く」
「うん!」
「わかった!」
――そう。
今まで魔王を見て、生きて帰ってきた者はいない。
まずは戦い、そして逃げ切る。それが最優先だ。
魔王城に入り、無事に戻れただけでも成果と言える。
最初から勝てるなんて、考えてはいけない。
これは何度も、何度も、三人で話し合ってきたことだった。
「準備はいいか?」
「うん!」
「大丈夫!」
シュート君は私たち二人の顔をじっと見た。
戦える精神状態かどうか、確認しているのだ。
そして、小さくうなずく。
「よし……それじゃあ、扉を開けるぞ」
そう言って、シュート君は魔王城の大扉に手をかけ、力を込めて引き開けた。
扉を全開にし、下部に木の棒を噛ませる。
これで扉は閉まらない。退路の確保はできた。
いよいよ、魔王との対面だ。
◇ 勇者一行と魔王の戦い
私たちは、警戒しながら魔王城の中へと足を踏み入れた。
内部は薄暗く、奥の様子はほとんど見えない。
広く奥行きのある空間のようだけれど、
開け放った後方の扉から差し込む光だけでは、全体を把握することはできなかった。
どこから魔族が現れてもおかしくない。
私たちは一歩ずつ、慎重に進んでいく。
サクヤちゃんが、そっとシュート君の腕の服をギュッと掴んだ。
緊張しているのが伝わってくる。
シュート君は「大丈夫だ」というように、その手を優しく撫でた。
――二人は、故郷に戻ったら結婚する約束をしている。
とてもお似合いの二人だ。
二人のためにも、絶対にここで終わるわけにはいかない。
私は手にした弓を強く握りしめた。
その瞬間――
バタン!!
後方の扉が、ものすごい音を立てて閉まった。
「しまった! 出口をふさがれた!
二人とも、しゃがめ!」
私たちはシュート君を中心に、身を低くする。
暗闇の中、何が起きるかわからない。
全身が強張った。
やがて、壁に並ぶ蝋燭に、点々と火が灯り始めた。
ひとつ。またひとつ。
まるで誰かが、こちらを見せ物にするように。
ゆっくりと、明かりが広がっていく。
そして――
(ゾワッ……!!)
強烈な「視線」を感じた。
「っ……!!」
「……!!」
「ま、魔王か……!?」
シュート君は剣を構え、私たちを守るように前に立つ。
でも、まったく余裕がない。息が上がっている。
私とサクヤちゃんは抱き合い、
ガタガタと震えながらシュート君の背中に寄り添った。
――これが、魔王の気配。
肌が粟立つ。
心臓を握りつぶされるような圧迫感。
目の前にいるだけで、自分たちがどれほど小さな存在なのかを思い知らされる。
私たちはハッキリと理解した。
魔王は、私たちとは次元が異なる存在だ。
とても……勝てる気がしない。
目が慣れてきて、祭壇の上に「何か」がいることに気づく。
あの視線は、そこから発せられていた。
「あ、あれが……魔王……」
二十段ほどの階段を上った先の祭壇に、
「大きなスライム」のような塊がいた。
それはプルプルと小刻みに振動している。
私にもハッキリとわかった。
あれが「魔王」だと。
そして、改めて確信する。
勝てるはずがない、と。
シュート君は後ろにいる私たちに、振り返らずに言った。
「大丈夫。
奴にだって必ず弱点はある。
今まで通りでいい。突破口は俺がつくる。
サクヤ、動けるか?」
「う、うん……!!
私にできること、全部ぶつける!」
「モコモコさんは?」
「私も……大丈夫!」
シュート君は大量の汗を流していた。
それでも必死に冷静さを保とうとしている。
サクヤちゃんの目は、今まで見たことがないほど見開かれていた。
逃げ場はない。
もう――やるしかない。
「最善を尽くそう!!」
「がんばろう!!」
「うん!!」
私は全員に防御強化の魔法をかけた。
サクヤちゃんはシュート君に攻撃強化の魔法をかける。
その間、魔王は微動だにせず、ただ私たちを見ていた。
「よし……行くぞ!」
シュート君が駆け出す。
左へ半円を描くように回り込みながら、魔王に斬りかかる。
私とサクヤちゃんは右へ展開し、魔法と弓を放った。
「フレア!」
(シュン……)
「はっ!」
(プス……プス……)
サクヤちゃんの魔法は、魔王の体に吸い込まれるように消えた。
私の矢も、表面にわずかに沈んだだけで止まり、そのまま飲み込まれていく。
「でやぁぁぁっ!!」
シュート君の剣が魔王の表面を切り裂く。
けれど、裂けた部分はすぐに塞がった。
ダメだ。まったくダメージを与えられていない。
こんなに力の差があっただなんて。
それどころか、魔王はまだ一歩も動いていない。
「いったん距離を取るぞ!」
シュート君が叫ぶ。
そうだ。勝つためじゃない。生きて帰るための戦いだ。
私たちはすぐに後退しようとした。
しかし、その瞬間――
ぬるり、と。
床から黒いものが伸びた。
「えっ……!?」
それは触手のようにうねりながら、あっという間にサクヤちゃんの足首へ巻きついた。
そして、宙に持ち上げてしまう。
「サクヤちゃん!」
「ワッ、ワッ、ワッ!」
空中にぶら下がって慌てるサクヤちゃん。
次の瞬間、別の触手が現れ、球状に広がり、
サクヤちゃんの全身を覆い囲んだ。
そして――サクヤちゃんの声が、まったく聞こえなくなった。
「サクヤーーー!!」
シュート君は魔王から出ている触手を斬りつけ、サクヤちゃんを助けようとする。
しかし、まったく斬れない。
「クソッ!! クソッ!!」
さらにもう一本、触手が現れた。
サクヤちゃんの救出に気を取られていたシュート君は気づかない。
「危ない、シュート君!」
その触手は、一気にシュート君を包み込んだ。
――アッという間の出来事だった。
今まで一緒に戦っていたシュート君とサクヤちゃんが、倒されてしまった。
そして、私一人が残った。
こんなに……こんなにあっけないだなんて……。
「サクヤちゃん……シュートくん……」
私は二人の名前を小さく口ずさんだ。
今起きたことを受け入れることができない。
大好きなサクヤちゃんとシュートくんが、
こんなにも簡単に死んでしまうだなんて……。
とても、信じられない……。
嘘だと思いたい……。
私はガタガタと震えながら、
今起きたこと全てを受け入れられず、茫然としていた。
……ズルズル
今まで祭壇の上から動くことがなかった魔王が、
引きずるような音を立て、私の方に移動してくる。
(……ああ、そうか。
……私もここで、死ぬんだ)
勝ち目はない。
逃げることもできない。
全身の力が抜けてしまい、私はその場に座り込んだ。
もうどうすることもできない。
全ては終わったんだ。
私はただ、これから起きるであろう
全てを……受け入れるしかないんだ……。
◇ 魔王とモコモコ
シュート君とサクヤちゃんは殺されてしまった。
私にはもう何もできない。
その場に座り込み、全てを受け入れる覚悟を決めた。
魔王が私のもとに近づいてくる。
恐怖はなかった。
もう、私が守るべきシュート君とサクヤちゃんはいないのだから。
魔王はスライムのような塊だったけれど、
私に近づくにつれ、だんだんと形が変わっていった。
崩れ、縮み、輪郭が定まっていく。
半透明の塊だったものが、しだいに人の形へと近づいていく。
腕。脚。肩。胸。首。顔。
私は息をすることも忘れて、その光景を見つめていた。
それはただの変身ではなかった。
最初からそこにいた「誰か」が、ようやく本来の姿を現しているように見えた。
そして――完全に人の姿になった。
その姿を見た瞬間、胸の奥が大きく揺れた。
(私……この人を知ってる)
初めて会うはずなのに。
そんなはず、絶対にないのに。
見たことがある。
触れたことがある。
大切に思ったことがある。
思い出せない。
でも、わかる。
(この人は私にとって
とても大切な人だったような気がするんだけど……)
魔王は、私の目の前で止まった。
「この人に殺されるなら」――なんだか、そう思えてきた。
でも、魔王は意外な行動をとった。
私の前で静かに膝をつき、話しかけてきたのだ。
「あの二人は中に閉じ込めているだけだ。
だから心配はない。
……久しぶりだね、モコモコ。
私を覚えているかい?」
「……え?」
私は驚いた。
シュート君とサクヤちゃんが無事。
その言葉を理解した瞬間、全身から力が抜けそうになった。
でも、それ以上に私を揺さぶったのは、その言葉だった。
「私を覚えているかい?」
人族の言葉だった。
今まで何度も魔族と戦ってきたけれど、
人族の言葉をここまで自然に話す魔族はいなかった。
なのに、魔王は当たり前のように、やさしい声で私に話しかけてくる。
魔王だからできるということ?
シュート君とサクヤちゃんが無事なのは良かった。
だけど、「私を覚えているかい?」ってどういう意味だろう?
どうして私の名前を知っているんだろう?
どうして温かい気持ちになれるのだろう?
そして――どうして私は泣いているのだろう?
気づくと、涙が止まらなくなっていた。
魔王は悲しそうに目を細めた。
その表情を見た瞬間、胸の奥にあった何かが、ぶわっとあふれ出した。
懐かしい。
会いたかった。
ずっと、ずっと会えなかった人に、ようやく会えたような――
そんな感覚が、私を飲み込んだ。
魔王は、そっと私を抱きしめた。
温かい。
恐ろしいはずの魔王なのに、その腕の中は驚くほどやさしかった。
落ち着く。安心する。
昔、こうして抱きしめられたことがあるような、
そして、とてもとても幸せだったような、そんな不思議な感覚だった。
気がつくと、魔王が私を抱きしめたまま震えている。
顔を見上げると、魔王は涙を流していた。
どうして、この人が泣くの。
どうして、それを見ると私まで苦しくなるの。
たまらなくなって、私は魔王の背に腕を回した。
すると、胸の奥からこみ上げてくるものがあった。
言葉にならない。
でも、ただ一つだけはっきりしていた。
私は、この人を失いたくないと思っている。
どうしてそんなことを思うのか、自分でもわからないまま、
私たちはしばらく、ただ抱きしめ合って泣き続けた。